上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009.06.30 ザリガニ釣り
20090630232452
先日の日曜日に、子供を連れてザリガニ釣りに行きました。
僕が子供の頃は近くの池やドブ川でよく釣りましたが、最近はどの池も柵があって立ち寄れなかったり、コンクリートで造られた溝であったりで、なかなかザリガニがいる場所が見つかりません。
たまたま今回はザリガニを釣ったとブログを書いている人がいたので、そこならばと思い出掛けてきました。
コンビニでスルメを買い、たこ糸を準備して出発です。
現地は大きな公園の中の人工の小川で、子供も安全に釣りができます。
ただザリガニが釣れるのが知れ渡っているせいか、岩の隙間を狙ってエサを落としても、ほとんど反応なしでした。
幸い、1箇所だけはザリガニがまだ住み着いていたようで、エサを落とすと直ぐにザリガニが近寄ってきました。
エサにしがみついた時、そおっと糸を引き揚げ網で掬うと無事ゲットできました。
バケツに入れてみると家の子は恐る恐る覗き込みます。
再度同じポイントにエサを落とすと、また一匹ゲットです。
2匹ともアメリカザリガニのメスで、覗き込むと爪を振り上げ威嚇します。
ちょうど学校の課題で日記を書かないとだめだったらしく、ちょうど良いネタになったようです。
スポンサーサイト
昨日は脳死の認定の問題について、衆議院で国会決議がありましたが、この問題はどんな政治問題よりも難しい事案です。
臓器移植を待つ側と脳死状態で懸命に看護している側とでは、捉え方が全く違ってくるからです。

政治問題は、妥協点を見つけて万人が納得するような決議で良いでしょうが、脳死の問題は生命にかかわる問題ですから、簡単に政治家の投票で決議して良いものなのか、甚だ疑問です。

脳死をどう捉えるかを法的に決めることはある意味仕方がないことですが、一方、死の認定を法で取り決めていると言うのもこれまたおかしな話です。

15歳未満の子供の臓器提供が可能になるとしても、親の同意がないとできないのは当然ながら、当の本人の同意は意思表示できないから蚊帳の外に置かれているのも、僕は何だか悲しいものだとつくづく感じます。

もっと生きていたいと思う患者さんがほとんどのはずですから、いくら親の同意といっても納得しかねるのです。1個人の生命は親がなんと言おうが国が守ってあげるという基本姿勢がほしいところです。

西洋の考え方では、臓器提供したら、そこで魂は生きていくという考えがあって、本人は亡くなってもその生命は提供先の人の元で生きながらえていると考えるらしいです。それぐらい確固たる信念で臓器提供できるなら、それは素晴らしいことで、少しでも心の慰みになるんだなと思っています。

脳死や臓器提供の問題は、全ての国民に関わることであるので、これこそ国民の総意を問う手続きで決めてほしいなと思うんですけどね。

親は子供が息する限りあきらめませんが、中には踏ん切りを付ける方もいるでしょう。
看病や子供の将来を考えて、ある時点ではっきり決断しなければいけない時がくるはずです。
どれだけ親の言葉に反応がなく、目を閉じて寝たままでも、やはり子供は子供で可愛いものです。自らの命を削ってでも子供が良くなることを願うものです。

僕は今回の決議に反対はしません。手を叩いて賛成もしません。
親と子だけしかこの問題は消化できないので、第三者がどうのこうの言う問題ではないと思っています。
ただ、僕は脳死は死ではないと考えるので、法的に死と捉えられるのは親として悲しいなと思います。でも、逆に臓器提供を待つ身の親だったなら、また違った感覚を持つかもしれません。
どうしても入れ以上子供を行きながらせるのは忍びないと思った時、脳死を認めることはあると思います。1人の人間によって1人の生命が助かるなら、それは親として苦しみを堪えて認めざるを得ない決断だと思っています。







yomei1month
昨夜遅く、関西地区で「余命1ヶ月の花嫁」のドキュメント番組が再放送されていました。
榮倉奈々と瑛太主演の同名の映画がロードショーされているので、それに合わせた放映だったのでしょう。
僕は昨夜鼻をグスグス言わせながら泣いてしまいました。
ある意味、典型的な泣かせタイプのお話で、ストーリーは実話ながらその裏話はネットでいろいろと暴露されて思わぬ波紋を呼んだようです。
でも、僕はこういうお話は変な勘ぐりをせず、乳がんにかかり若くして亡くなってしまった主人公の無念な思いを感じとって、素直な気持ちで番組や映画を観てほしいと思っています。
生きていることがどんなに素晴らしいことか、生きていれば何でも好きなことができる、そんな感謝を感じとって上げてほしいものです。
もし自分が若くして愛してる人の寿命が1ヶ月しかないとなったらどうするだろう・・・そんなことを年甲斐もなく空想したり、自分の子供が若くして不治の病に侵されてしまったらどう対処すべきなんだろうと、そんな映画の意図するコンセプトと違う思いを感じながら、テレビに釘付けになってしまったわけです。
「とてもじゃないけどこの映画は映画館では観れないな。年食ったオヤジが号泣してるのを他の人が観たら気持ち悪がられるに違いない。」と確信しました。
人生は人それぞれいろんな経緯や経験があります。でも、死を迎えることについての悔しい思いや、怖い思いはみんな同じ気持ちです。僕も昨年実父を癌で亡くしました。2年間闘病する父の姿は今でも昨日のことのように思い出します。
このドキュメントや映画を通じて乳がん検診を受け早期発見された方もいるのですから、主人公は何かをこの世に残せたんだと思います。きっと世に何かを残すより、自らの病気が完治することが彼女の本望だったに違いありませんが、実際に死を迎えることで多くの人々に影響を与え、乳がんに対する意識付けとしたことは、彼女の天命だったのかもしれません。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。